2014年2月25日火曜日

0223-0224 UrTURN SUMMIT にて 燃える

土日で東京。

土曜の夜は目黒「とんかつとんき」へゴーダウン。せっせととん活。











初めて行ったのは何年前だ?この日はかつて無いほどの大行列。外まで並んでるのはそうそうない。
並んでる間に、後ろから
「8年前と全くシフトが変わっていない」
と声が聞こえてくる。

そうなのだ。ここはいつ来ても、同じ人がとんかつを揚げ、同じ人がとんかつを切り、同じ人がレタスを盛り、同じ人が辛子を皿に付け、同じ人が客を席に案内し、同じ人がホールを行っている、脅威の完全フォーメーションを組むお店。
コの字型に客が囲むキッチン内では、店員同士はほぼ一言も声をかわさず、しかしとても滑らかに、まるで機械のように完璧なフォーメーションで動き続ける。それをお客がうっとりした目で、見入る。まさに「とんかつ劇場」、とでも言うような。

前述の「とんかつを切り続ける同じ人」は、推定80歳。
そしてキッチン裏の洗い場は、隙間から10代の子が必死で皿を洗っているのが確認できる。彼がとんかつを切れるまで何年掛かるのかはわからない。
が、とても震える。
誰を連れて行っても黙る。本当にうっとりする。

孫を連れて行きたい飯屋ランキング、1位。とんかつの文化遺産こそ「とんき」だ。
働くこと、何かに熱中すること、こだわりを持つこと、使命を全うすること、「好き」に生きること、そして、美味しいご飯を食べることの尊さを教えてくれる名店です。

とんかつ頂きながら、俺は初めて来た頃と何が変わったのか考えた。
初めてとんきに来てからこの日までの数年間、爺さんがとんかつを切り続ける間に俺の生活も激変した。爺さんもけして同じ1日など無く、日々学びながら全力で極みへ登っていているんだろうと思うと、継続の尊さにも痺れる。

それから、中野のアンリ家で宿泊。


















日曜、ユアターンサミットにて、登壇。

全くタイムテーブルを見ずに行ってしまったので、初っ端に話を振られ、いざ!と気張って、延々と熱量を込めたら、長いと指摘される大失態。自分のイベントじゃないんだからとしきりに反省。最初の振りで5分以上喋っちゃったので、他の登壇者も3分以上は喋る流れになり、結果押し押し。申し訳なかったです。

ただ、サブカルの話とヤンキーの話が異常にウケていて、なるほどなぁ、と思った。ヤンキーの話に関しては20人位から褒められた。
普段、講演なんかで話すときはそこまで出来ない、自分の地方への想いをメインに押し出した、友達の前とかで話す内容を初めて卸せたので良かったです。(結果僕が何者なのかわからないまま終わってしまったのは残念だけど)

話しきれないことも沢山あったので、需要があるかわかりませんが、(あとこれ出していいのかわかりませんが、)事前にもらったアンケートの一部、加筆したものを載せます。

以下。

・山形にUIターンしたきっかけ、しようと具体的に考えるようになったを詳しく教えて下さい。
東京で様々な活動を行う中で、大学時代の同級生や知り合いが沢山就職留年したり、「日本で年間3万人が自殺している現状」を多々目の当たりにしました。その一方、就職をせず、例えばアプリを開発したり、その流れで会社を起こしたり、NPO法人を立ち上げたりして、一概には言えませんが「自分がしたいことをして生きている知人」も沢山いました。その中で、就職をする意味、もっと言えば「就活をする意味」がわからなくなりました。大学辞めて「やっと自由になれる!」と思っていたら、学生みたいな感覚で企業に「所属」していて、全然生活をクリエイトする気がない社会人を多く見た時に、凄く感覚の乖離を感じました。

主に世間体さえ気にしなければ、例えば月3万円稼げる活動を7個やれば、20万の月収は得れるわけで、そういった形で皆がある程度自由で、ストレスフリーでいれる人生の仕組みを作りたいと思うに至りました。元々、映画・音楽・本は大好きでしたが、それとは別に、食文化も大好きで、自分の趣味や嗜好を拡大していくうちに、米シスト庄内という会社が凄く可能性に溢れているように見えました。現状こそ、縛りも多くてとても精神的にキツイ世界ですが、単純に将来農家が減れば、目の前に広がる耕作放棄された庄内平野こそが可能性の塊になると思いました。そこを基盤にして、先程の「理想的な生活」なるものを創造できないか、と思ったのがきっかけです。

あと、サブカルが好きです。歴史に残り、大衆を一つにしようとするのがカルチャーだとすると、「誰もひとりぼっちにしない」のがサブカルだと思っています。これは高校3年生の時にアラバキロックフェスティバルで見た銀杏BOYZ峯田和伸のMCに起因しています。「LOVE&PEACE」をいくらロックで唱えても、同じクラスに、同じ職場に、「どうしても仲良くなれない」人がいる限り、残念だけど音楽で世界を一つにするのは無理だと思っている。じゃあ何故銀杏BOYZは歌をうたうか。銀杏BOYZは、誰もひとりぼっちにしないために歌をうたうんだよ。みたいなMCを峯田和伸がした時、サブカルを生まれてはじめて意識しました。

ネット社会の弊害だと思っているんですが、全部「はい」と「いいえ」の二元論になり、どちらかの意思表示をするに至る思考や懊悩のプロセスが可視化されなくなってしまいました。結果、「いじめはだめだ」「人を殺してはいけない」「人と仲良くしよう」「これがライフハックの方法です」「タバコは体に悪い」みたいな、ある種「答えだけが氾濫している社会」が出来上がりつつあります。でも、実際は舛添が絶対正しい、宇都宮が絶対正しい、田母神が絶対正しい、のどれにも正解はなくて、それぞれの中に正解と不正解があるわけで、その曖昧さ(「情緒」や「粋」もその類だと思っています)を汲み取ろうとするムーブメントが本当に少なくなってしまいました。

中学生が「あいつが死ぬほどムカつく、ぶっ殺してやりたい」「あの可愛い子を俺の思い通りにしたい」と思った際は、それを相談できる友達が放つ「わかるわ~(笑)」がストッパーになりえます。でも、それを誰にも言えないまま、社会の「殺人・レイプは絶対悪」の標語に対峙し、結果「自分は異常者だ、誰にもわかってもらえないんだ」と思ってしまった人が、秋葉原や池田小学校に突撃してしまうのではないかとぼんやり考えています。

そんな孤独者が心の隙間を埋め、「人間全員が正常と異常の間でうまく生きている事実」を気づかせる作用が、サブカルにはあります。寺山修司・坂口安吾から根本敬に至るダメ人間賛美はもちろん、「デビルマン」や「ダークナイト」で、正義が悪になり、悪が正義になる瞬間を見ることで、自分は大丈夫だと言い聞かせる真夜中を、僕自身沢山経てきました。

食の嗜好が細分化していく中で、更にTPPが始まれば、ますます食の選択肢が増えることになります。その中で、農業をサブカルにしたい。BGMを選ぶノリで米を選んだり、暮らしを選んで欲しい。米シスト庄内は今は農業の会社ですが、本屋も映画館もレコ屋も飯屋もやりたい。居場所をつくりたい。サブカル好きのマイノリティだからこその感覚と共意識で仲間と様々な活動をしていく中で、もっともっと食を理解して様々な角度から楽しめるようにしたいです。なので、有機農業には賛成であり反対で、化学肥料にも賛成であり反対です。様々な人の好みと隙間を満たす農を軸にした活動。それが実現できる下地が山形の田んぼにある気がしました。

・現在の職業・活動などを詳しく教えて下さい。
今は米シスト庄内営業広報部統括という役職です。仰々しい名前ですが、「部長」と名乗るのが恥ずかしかったので「統括」を名乗っています。一緒に就職した早稲田大学法学部中退の國本という友人が最初に与えられた仕事は「就業規則の作成」でしたし、その程度のアバウトな会社です。メインは営業業務で、2012年に國本と一緒に作った、「かりんと百米」という米粉加工品を持って、全国を飛び回っています。

農業生産法人を米中心に動かすとなると、「天気や相場に年商を決められている」感覚に陥ります。天気が良くて豊作になれば、年商は上がりますし、農協や米問屋が動かす相場が下がれば、年商も下がります。何で年商が下がったのかを問われれば、それを「銀行さんに理解してもらう」しかないことに、凄く無力感を覚えました。

その一方で、加工品(例えば菓子)は、基本的に価格は変わりません。去年米の相場が下がって、近隣の農家はそのことを嘆いていましたが、米の価格が下がれば花林糖の原価は下がります。「原料を持っている」という他の食産業業者があまり持っていないアドバンテージを活かして、加工品の世界に挑戦しつつ、農業の可能性を広げています。加工品で年商の50%稼げれば、天気や相場で会社が潰されることはまず無いので、そこで出来た余裕を前述の様々な嗜好に向けての活動に向かわせるべく、今は体力を作っているところです。

その他、HPを作ったり、商品開発をしたり、財務諸表を見て銀行やコンサルさんと話しあったり、当然田んぼが忙しい時期は田植機・コンバインに乗りっぱなしなどなど、会社業務は全般になります。また、塾で講師もしています。必死な人が好きなので、受験生と話すのが大好きです。

・UIターンする前と今で、山形での暮らしに対する想像と現実のギャップなどはありましたか?もしあれば、小さな事でも良いので、詳しく教えて下さい。
Uターンする前は、東京で生活と同じように、軽いフットワークで振る舞えるかと思っていたのですが、親戚関係や地域の行事への参加、周りの農家との関係調整を、父親がこっそり一手に担っていたことを知り、東京での人間関係の数倍濃密な人間関係を組んでいかなければいけないことに慄きました。これは今でもあまり変わらずに慄き続けています。

「地域に参加しないと叩かれる」だろうなあ、と思っていましたが、「地域に参加しないと陰湿な方法で叩かれ」ます。(もちろん一度仲良くなった人や仲間に入れてもらったコミュニティはとても良くしてくれたり、守ってくれたりも多々あります。)

また、好奇心のある、探究心に溢れた若者が少ない印象があります。自分の大好きな趣味が「本・映画・音楽・食」だとすると、庄内の若者(特に男)は、結構皆「車・ダーツ・釣り」が大好きです。庄内に帰ってから何度カラオケでEXILEの「Ti amo」を聞かされたかわかりません。もちろん馬鹿にしている訳では無いのですが、そのような場で、「自分が東京で数100万払って蓄積してきた文化についての知識財産」が、無価値に思えるようなシーンが多々あり、疲れました。「今夜はブギー・バック」を歌っても、「なにこれ?笑」で消費されてしまう現実がそこにはありました。

一つの物事を多面的に想像したり、妄想したりして話を膨らませる会話をあまり楽しめませんでした。唯一の共通項と思えた「食」や「お笑い」についても、目の前のものをただただ消費し、「つまんねーよ」と言うことで自己の表現欲を満たしてしまう自称消費者(ツッコミ側の人間)が多く、次第に地元での同世代(特に男)の友人関係は放棄しがちになりました。都会よりも田舎のほうが「文句ばっかり言っている人間」が多い(目立つ)ということです。

追記
ですが、その一方で、20代以下と30代以上の主に食を中心とした意識差がどんどん広がっている状況には、大きな危機感を頂いています。「食の都庄内」として、在来野菜を中心とした食文化都市を目指す気運が生まれていますが、周りの同世代の友人でアル・ケッチャーノに行ったことがある人は本当に稀で、ほとんどいないです。

ここ最近衝撃だった話で、「化学肥料を使った農業よりも有機農業の方が、長期的に見れば地球環境に悪い」というのがあります。要は、有機は収穫量が上がらないので、例えば、100人に食わせる作物を育てるのに、化学肥料だと10aで済む面積が、有機だと20aかかる。そうすると、2050年に人口90億人に膨れ上がる地球において、全員が有機野菜食べるには森も川も全部農地にしないといけない、その形の自然破壊はありなんですか?という視点です。

地方で有機野菜を作ってる農家が、それを何処に売るかというと、主に都会の(または一部地方の)富裕層です。もしくは脱サラ後、経済社会引退気味の金持ちダウンシフターズが有機農業を始めて自家消費するというパターンが増えています。「有機野菜しか売れない」というルールがもし出来れば、とりあえずの今の農地面積では、スーパーの野菜売り場は縮小して、「野菜を食べる機会のない」人たちが出てくると予測されています。

確かに僕は、学生時代に金がとことんないときに、水道水をがぶ飲みしながら、「あ~格差社会だね~」なんて思っていたけれど、それが地方に広がりすぎている気がしています。かと言ってB級グルメに在来野菜を使って気軽に食べれればと思えば、それはそれで「価値が下がる」から違うらしい。結局「食の都庄内!」、だとか「在来野菜!」だとかのなかで、「金なくて有機野菜食えない」、もっと言えば、「金なくて有機野菜に感心持てない」人たちが本当に多くて、その一方で酒田市みずほのガストは深夜三時でも人がいっぱいで、今まさに「格差社会」を痛感しています。

そんな同世代の友人たちを目の前にして、その人達の手が届かない作物を育てる葛藤もあります。有機で化学肥料と同じレベルの収量を上げる方法は、今のところ「遺伝子組み換え」しかないですが、それもいまいちはっきりしない理由で有機愛好家が主に否定しています。マックを食っている人は、有機野菜食べている人に何も言いませんが、有機野菜を食べている人が、マックを食う人に文句言ったり否定したりするのを何度も見てきました。これも格差を広げる一因になっているように感じます。

結局、一部の人の満足感のために、同世代の友人の手が届かない価格の、収量減らしてこだわりぬいたお米を作る農業するのか(それもビジネス)、多くの人においしい庄内米を食べて欲しいっつって化学肥料使って農業するのか(それもビジネス)、有機で多収狙って遺伝子組み換え採用するのか(それもビジネス)、心が動く新技術待つのか(それもビジネス)、凄く難しいと思っています。

その葛藤の中で、先述した流れに乗れない(かと言って僕と話が合わない)山形の若者(僕はこれを敢えて「ヤンキー」と呼んでいます)が中心になるような文化の流れを作らなければ、この先は無いなと思っています。経済格差を埋めつつ、みんなが旨いものを食いつつ、文化を楽しめるような場所を、何とか作り出したいのです。

以上です。

夢みたいな理想を語りつつも、現状に共感してもらえて良かった。

イベント全体はもう本当に素晴らしいイベントで、庄内でなかなか出会えない、熱を帯びた若い人との繋がりがたくさん生まれたので嬉しかったです。交流会、試しに、と思って最初は待ちの姿勢でいたら、本当に沢山の人が寄って来てくだすって、嬉しいなぁ~とずっと思っていた。

去年行けずに、どんなもんだろと思っていたショウナイトの実行委員の方と一緒に登壇した方が、「マジで酒田を日本一の音楽の町にしたいんです!」って言ってて、実際に行動しだしていたのには感動しました。別の動きとして、もっけだフェスティバルに対する熱もとても熱くて。絡みたい、と思える動きに出会えて本当に良かった。なんか救われた。救われる気持ち、フィッシュマンズ。何度も見てたこの絵、つかまえたい。

あと、一緒に登壇させてもらった革靴職人の方の、「就職したい会社が山形にあったから山形に行ったまでです。」が深夜バスの中で延々リフレイン。友人のいけだという音楽家が「会いたい人が東京にいたから東京に来た。ハワイにいたらハワイに行ってた。」と言い切っていたのを思い出しました。

便利な施設でも立派な箱物でもシネコンでもラウンドワンでもスタバでもなくて、まず魅力的な人と集団を作れば、人口はおのずと増えるんだろうと痛感。未来の農家志望の大学生(早稲田在籍)に、「米シストが山形にあったから山形に来たまでです。」と言ってもらえる会社を僕は作れるんだろうか。「佐藤さんが山形にいたから山形に来たんです」と言われる人間に、なれるんだろうか。ならなきゃな。そう考えると、歩いた足跡を今なお年間数万人に辿らせる、松尾芭蕉は最強だなと、思います。

結果、いても立ってもいられなくなったので、年始に「今年は継続の年にする」と謳っていたのを横において、新たなプロジェクトを始動させることにしました。ソーシャルライブラリー(シェア部屋)づくりと、ムックの発刊、やる。詳細は後日。

会いたい人がたくさん増えた。
今度は別の肩書と実績であそこで話したいです。長い長い言われながら、でも昨日より何倍も熱い話を。冷め切った大人を焦らせるような。ありがとうございました。