2015年12月10日木曜日

どこへ行こうか 悩んでるなら きみの住む街を ふるさとを 愛そうぜ(わがままカレッジ)















ドゥワチャライク20151205一件落着!本当にありがとうございました。

お忙しい中、ご来場いただいたお客さま、アーティストの皆さま、出店者の方々、本当にありがとうございました!


前回よりも長丁場で、となると自動的に関わる人の数が多くて、やらなきゃいけないこともたくさん、色んなことで切羽詰まりまくりの直前2週間でした。が、出店がオープンして、ふたりフジ久のライブが始まるころには、ついに始まってしまった、ことへの安堵やら切なさやらで、うおおおおおと胸が若干苦しくなりましたが、会場にいる皆さんの顔や、美味いやら美味しいやら可愛いやらの声ですっかり心が弛緩して、顔もほころびまくっておりました。最後の最後、わがままカレッジ山下の「ずっとドゥワチャライクは終わらずに続いていく」旨のMCで、色んなことを決めました。

わがままカレッジのボーカルの山下と会ったのは2006年の4月のアラバキロックフェス。そのきっかけのブログを書き始めたのが2004年の12月。山下には10年って言ったけど、ホントは11年。ライブドアの「高校生ブログ甲子園」を通して手に入れた繋がりが、こうして11年後、イベンターと出演者として、しかも俺の地元山形で相まみえれることに、本当に感激を覚えました。なぜなら。それは今回のドゥワチャライクで出会った誰かと誰かが、11年後の2026年に、どこかで一緒になにか大きいことを出来るかもしれないことを、ほんのり保証する根拠になることだからです。例えそれが寺社仏閣、とか、数学、とか、俺が全くわかんないジャンルでも、山下や藤原さんや健太氏連れて参加したいなぁ。

ドゥワチャライク、2回目の裏テーマは「お土産」でした。各出店者の皆さんに何度もお願いしたことは、「次の日以降、お店の情報を知れるショップカードや名刺を持ってきてほしい」ということです。12月5日、ライブが終わって友達と分かれて家に帰って、枕元で、ドゥワチャライクのパンフや、買ったお店の商品、ショップカード、バンドのCDや物販を眺めれたら、どんなに幸せだろう。例え12月6日が「行きたくない仕事」だとしても、職場の同僚に渡すお土産があれば、ちょっとだけ行くのが嫌じゃなくなるかもしれない。そんなことばっか考えてました。だから、それが伝わったのかどうなのかは定かではありませんが、T.V.not Januaryの皆さんがバンド物販で、「みかん」を持ってきてくれたことが本当に嬉しかったです。あのみかん食べながらヤンキー発電所聞いたら最高だろうし。

転換のBGMも本当に気合入れました。過去の対バン、企画、Twitterで貼ってるYoutube、全部調べて、このバンドのライブ前に、何が流れたらバンドはテンション上がるんだろう、何が流れたらこのバンド気になってる人はもっと音楽聴きたくなるんだろうと思って丁寧に選びましたっす。終演後、沢山転換SE褒められて、聞かれて、嬉しかった。当日流してたCDは、秋田から来たお客さんに全部あげました笑。

1回目のドゥワチャに比べて、いかに良いライブするか、いかに利益上げるかに気合がこもっていたアーティストや出店者の皆さんが、今回は(僕の感覚的なとこなんですが)いかに繋がりを作るかに、若干シフトしている感を得れて、とても心強かったです。当日配布したパンフの裏然り、庄内なんもないなんて、俺にとってはちょっと意味がわかんないことで、まだまだ会ってない人、行ってない場所、話してないこと沢山あるし、これから沢山のそれらがとても楽しみになるような1日でした。

ドゥワチャの出演メンツが決まってから、おかしいことが色々起こって、例えば、ドゥワチャの前日12月4日に、大阪の天王寺で、クリトリック・リスと前回出てもらったDJダイノジが共演してたり、ドゥワチャ1週間前にはMOROHAとクリトリック・リスが対バン。つい昨日、12月9日開催されたThe Wisely Brothersの企画にはT.V.not Januaryが出たり。わがままカレッジのレコ発の新宿MARZはフジロッ久が対バンだったし、乞食晩餐会も下北インディーファンクラブに出たり、FRIDAYZは西荻PITBARで、わがままカレッジ山下がやってるもう一つのバンド、SEMENTOSと対バンしたり。きっとこうやって、ドゥワチャに集まって人たちが、これからも色んな場で交わっていくんだろう。それはお客さんも出店者も同じ。ひょっとしたらもう会っていたのかもしれないし。

12月6日、何人かの人が、俺のドゥワチャライクはまだ終わっていないって言って、リストバンド付けてどこどこ行ったとか、パンフの裏のMAPのどこどこ行ったとか、家でMOROHA聞いて泣いたとか、書いてて嬉しかったです。ドゥワチャライクはまだまだ続いていきます。そして!ドゥワチャがまだ終わってないことをまた一つお知らせできる素晴らしい知らせが、今日か明日に、酒田hopeから届くはずです。楽しみだなあああああああ!

WEBの方に、ドゥワチャ当日の写真を上げました。
http://dxwxyxl.wix.com/0002#!photo/c1f5
こちらからどうぞッス!(もっと見る を押していただければ、もっと見れます)

あと、明日明後日には「NEXT」というコーナーを開設して、ドゥワチャ出演のアーティスト、出店の皆さんの今後のイベント情報についてWEBに載せる予定です。お楽しみに!

ドゥワチャライク終了しましたとは言わない!ひとまず一件落着、といったおももちです笑。
当日来てた高校生の子が「最初は酒田出ることしか頭になかったけど、知れば知るほど良いところたくさんある。ドゥワチャでいろんな事知れたしますます好きになった。進学やめて地元就職するかも!笑」って書いてて、鼻血出るかってくらい喜んだ。「進学もいいことだと思うぞ!」と、「でも地元に残ったとしても超面白いぞ!」と。今は両方言えるようになりました。自分が「妥協」じゃなくて「納得」してれば、どっちでも正解だろうし。これはFRIDAYZから教わったこと。

まだまだ続く、続ける!これからもドゥワチャライクをよろしくお願いします!
ありがとうございました!




2015年11月29日日曜日

ハイスタ復活よりもブチ上がれ(MOROHA)

本気出して書きます。気が振れた想いをぶち込みたいと、いま思っています。


最初からなんですが、この動画を見てください。この文章読む前に、何とか見て欲しいです。

16歳、18歳、22歳、、色んな人生のタイミングで地元を離れた人に。
色んなタイミングがちらついたけど、地元でずっと生きる選択をした方に。
選択なんかしてないけど、今の場所にずっといるあなたに。







いよいよのドゥワチャライクの話。
「またドゥワチャか」とか、「今回は行けないんだよね」とかのあなた、そのあなたにこそ読んでほしくて本気出して書きます。「行けたら行く」を越えたいんです。


俺は公務員がパチンコ屋行ってるこの街に絶望している。

A町役場の職員がA町のパチンコ屋に行ってる。俺が払った住民税が、巡って巡って給料になって、それがスロットに飲まれていく。アパートの共益費、少しでもロビーが綺麗になれば、外壁直してもらえたら、そんな思いで払ってる金が、大家のパチンコ代に消えている。そんな気分。せめてとなり町でやって欲しい、、お願いだから。。

おとなになってから見えてきた、汚さ、セコさ、ずるさは本当にたくさんある。
でも子どもの頃から思ってた。何となく死んでる教師の目。大人の目。ジャスコ、ガスト、マックの無限回廊。「ただただひたすら腹立つくらいに綺麗な星空」。鳥海山を綺麗だと思ったことは1度もない。ずっと変わらない町。だんだん潰れる商店街。本当に嫌だった。嫌で嫌で東京に行った。大学に入ることは山形から抜け出す手段でしか無かった。

東京行って色んなイベントをやってた。バンドや芸人さんのお手伝いをさせてもらって一緒に名古屋や札幌に行った時もあった。いつだってやっぱり難しいのは集客だった。ダイノジ大谷さんのリツイートと告知の数を見て、いろんな事を考えた。かかったコストをペイして次に繋がる利益を上げるために、マーケティングなんかをかじったりもした。小生意気にも。

そんなタイミングで帰省したついでの赤川花火大会。本当に衝撃だった。
打ち上げ場所がとにかく近くて、一発上がる度に照らされる河原。そこにはありとあらゆる人が並んでた。中学生、高校生、若いカップル、家族、おじさん、おばさん、老夫婦、ヤンキー、ギャル、老人会、婦人会。。
こんなにも「全員」を対象にしたイベントは他にないって思った。何がマーケティングだって。サッカーワールドカップも、選挙も、客を選ぶ。選ばざるをえない。でも、赤川花火大会は誰も選ばなかった。全員を受け入れていた。アポロ11号のテレビ中継、1964の東京五輪。かつて80%まで行った紅白の視聴率さえ30%に落ちた今、こんなイベントを山形は毎年やってた。俺が忘れてたのは、「全員が楽しめる」視点だった。それはそのまま「芋煮会」のスタンスでもあった。そん時に俺の「わかるやつがわかればいい」は終わった。

その辺から、山形に興味を持った。愛も憎もあった地元、だんだん愛が強くなった。帰ろうかなと思った。山形やるやんけ、そんときはまだ、そんな感じ。

帰ってきて、まず初めに駅に行った。酒田と鶴岡、遊佐と三川と庄内町。全部のパンフレットを集めた。手に入れた車で、載っている場所を全部回って、色々考えた。行動範囲が広くなって、沢山の知り合いができた。米を作って、かりんとうを売ったら、段々俺を面白がってくれる人が出来た。農家の加工販売、6次産業化のことで、講演することもあった。そんくらいのタイミングで、庄内町の中央市街地活性化協議会の評議員に任命された。でも、話していることが段々街から離れていっている気がして、だんだん冷めていった。

俺は俺の友達が楽しめる街になって欲しいと思っているのに、こうしたら人が来るかも、とか、こうしたら庄内が有名になるかも、とかの話し合いが、ピンとこなかった。今思えば、それも大事なんだけど。

そんな矢先、ももちゃんと久々にあった。ももちゃんは高校の1個上の先輩で、こっちで保育士をしている。山形で働いて、たまに東京に遊びに行ってを繰り返していた俺らは、地元であれがしたい、これをしたいを自然と話すようになった。そこで生まれたのが、ドゥワチャライクだ。

ドゥワチャライクの企画書を作って、酒田hopeに行った。ケンタフライデイズというFRIDAYZのボーカル兼酒田hopeのオーナーにそれを渡して、今度飲みに行く約束をした。飲み会の日、「アンカーの阿部さん」なる人物を連れて行くけどいいか?って言われて、出演をオファーしている手前断れるわけもなく「是非是非ッス」などと返答した。思えばあの飲みがターニングポイントだったと思う。

それからhopeとアンカーによく行くようになった。hopeは今回のドゥワチャの会場で、アンカーは前回出店してくれたアメリカン雑貨屋だ。そこに行くと、いつも沢山の「若者」がいて、友達がどんどん増えた。その中に、「hopeがあるから、アンカーがあるから、東京に行かないで地元に残った」奴がいた。本当に凄いことだと思った。俺がやりたいのはこういうことなんだって心から思った。

どうやったらUターン・Iターンが増えるのか必死で考えて、それを促進する事業体に補助金を出すのも大事なんだろうけど、既に流出を阻止してるお店にも「だったら補助金出さないとおかしいんじゃないの」って思った。hope、MF、アンカー、FUN☆K、studio+14、、言い出せばキリがないくらい、庄内には人の岐路に向かい合い続ける店がある。人がいる。それを知った時、西海岸計画も、モシエノ大学も、見え方というか、俺の役割みたいなものがかなりクリアになった。

You champ carry your way !
ここから景色を眺めている ここから世界を見たことがあるか?この寂れた街についてどう考える?可能性を断ち切ったのっておまえ自身じゃない?だから俺はここからやってやる 俺はここから変えてやる
何かが起こる それは場所ではない 数ではない 理屈ではない 他人ではない 憧れでおまえは高く飛べない
You champ gangatte carry your way ! You gonna way !
此処から変えろ おまえの街は此処だ 此処で生きてる 逃げるな 此処から景色(シーン)を変えろ LOCAL HERO

FRIDAYZの歌詞。場所も風景も関係ない。

今日ももちゃんと打ち合わせをしてて、音飯の話になった。
音飯は高円寺にある飲み屋だ。ももちゃんは音飯が出来た時から通ってた。むしろ、音飯の内側にいた。音飯は、不思議な引力を持ったお店で、ミュージシャンや画家、写真家作家芸能人、色んな人が集まってくるお店だ。でも、それだけじゃない。音飯に通ってたお客さんが、じゃあ俺もやろうっていって、カレー屋出したり、バンド組んだり、ギャラリー開いたりしてる。そして今、音飯発信のお店は都内に何店舗もあるそうだ。「何者でもない誰か」が「何者か」になっていく、そんなお店のこと聞いてたら、凄い焦った。音飯の主軸はコースケさんとヨウさんの2人だそうだ。その2人の引力が、高円寺の2階から、東京を変えてる。面白くしてる。

その2人が、俺とケンタフライデイズの2人なのか、俺と西海岸計画池田さんの2人なのか、俺と國本の2人なのか、俺とあみちゃんの2人なのか、、答えは全員なんだ。俺とその皆で、面白そうなことに全力でぶっ込める山形をキープオンしてぶち広げていく。これが俺がやりたいこと。

だから俺は、パチンコ屋行って、公務員捕まえて、一緒に飯食いに行きたい。
仲がいい友達、全員雇って、一緒に街で遊ぶように仕事したいって、そんなガキみたいなこと、夢みたいなこと、俺は本気でやってるんだ。

ドゥワチャライクがやりたいのもそういうこと。あの飯屋好きだ。あそこのラーメン屋知ってる?俺こんな音楽好きなんだよね。スタッフの、友達のそんなところを一箇所に集めて、それを分ち合うお祭り。音楽イベントじゃない。お祭りなんです。もちろん、東京や関西からアーティストさんも来てもらう。でもそれは、ただかっこいいバンドを集めただけじゃない。歌詞だったり、Twitterだったりをみて、その人の生活を想像して、日常や暮らしを大事にして、あくまでもそこを拠点にしてやっていこうって人だけを呼んでる。現実逃避のための音楽じゃない。現実を彩り、現実を一滴一滴抽出して味わう音楽家に、今回も出てもらってる。

きっかけ作り祭りとはよく言ったもんで、今の生活を否定することなく、新しく広げる、そんな出会いが溢れた場になればいいと思ってる。それはお客さんと出店者だけじゃない。お客さんとお客さん、バンドとバンドもそう。あいつと話が合うだろうなって思う人がいたら、すぐ紹介するし。それはケンタフライデイズもそうだろうし。紹介したいものがたくさんある。初めての人だって何も問題がない。俺も皆初めましてからこんなにたくさんの物をもらった。幸福はいつだって人と一緒にやってくる。人を変えるのは無理だなんて思わない。俺を変えたのはいつだって人だった。

なので、12月5日、来てください。お願いします。そして、シェアやリツイートで、ドゥワチャライクを広めてもらえたら有難いです。
行けないけど、成功を願ってますなんて言葉は嬉しいけど、あなたが来てくれたら成功が大成功になるのにっていつも思う。
「今回」は行けないんだよねって言われても、次回あるかどうかは俺だってわかんない。でも、続けていきたい。色んな所で色んな人とやりたい。心底思ってる。

この面々が揃うことなんて、一生無い。例え医療技術が発達して、寿命が300歳になっても、これから先の200年以上、絶対無い。それはお客さんにも言える。ほんとは、ふらっと遊びに来てね~なんて言えたらスマートだろうけど、やっぱ本音のところは、「絶対来てほしい」んす。仕事がある。わかる。予定入ってる。わかる。お金がない。わかる。でも、それでもなお、絶対来てほしいんす。ゲスくてすまん。仕事に勝てるイベントを作りたいと、俺は、世界中のイベンターは思ってるよ。お金ないのは相談してほしい。

わがままカレッジの山下は、今から10年前、高校生の時にお互いのブログにコメントしてたのが始まり。DO IT 2008っていう狂ったフェスが山形市で開催された時、東京から一緒に行った。その時山下が甲本ヒロトの物真似で出場したロックスター選手権、その主催のSHIFTのセイジさんは、次のドゥワチャのトリがあのヒロトだって知って大笑いしてた。そんで、ドゥワチャ山形市でもやってよって言ってくれた。やりたいっす。だから今回楽しみたいっす。

森の家の春樹くんは、芋のパッケージやら米のパッケージやら、俺が農業界に入った時既に、俺がやりたいことをやってた人だ。最初はなかなか話せなかったんだけど、いざ話してみるとやっぱすげぇ分かち合えるところがあって、西海岸池田さんと真室川に行った時は、新庄最上の面白人間をこれでもか!って揃えて迎えてくれた。数少ない農業者の友達。春樹くんの芋で作る芋煮が、俺の世界で一番好きな芋煮だ。

こうやって、書けばきりがないんだけど、出店者それぞれ、スタッフだったり俺だったり俺の友達だったりの想いがあって、声をかけて、揃ってる。こういうイベントが組めるのは地方ならではだろうし、そことすぐ繋がれるのも地方だろうと思う。

山形を俺は諦めない。政治家先生の10倍、政治家先生によっては同じくらい、強く思う。動く。
ドゥワチャライクいよいよ6日後です。チケットはこちらから。よろしくお願いします。
http://dxwxyxl.wix.com/0002#!ticket/cm36


(拡大しても文字が読める画像に修正しました。)

2015年11月24日火曜日

良ければ一緒に そのほうが楽しい(KAN)

「辛い」という字にたった一本棒を足せば「幸せ」になるとは教わるが、「幸せ」という字からたった一本棒を引くだけで「辛い」になるとはなかなか言わない。人は簡単に幸せになるし、簡単に辛くもなるし、そんなもんだなぁと思います。一億総メンヘラ。諦めないで納得したい。ハッピーな方がもちろんありがたいですが、そういう訳にもいかない。だから考えるし、やるし。
ちなみに、「良い」という字に二本棒を足せば「食」になります。この二本はお箸のことだとか、そうでないとか。開いた口だなんて説もあります。正解なんて無いですが、悪い食なんて無いよん、みたいなこと言ってる感じの、このスタンスが俺は好き。




WE INSIST!というパリのバンドをご存知か。
つい先日酒田hopeにてジャパンツアー初日を切ったこのバンドは、ただただ愛に溢れたバンドでありました。そのサウンドについて俺は語る言葉を持ってない。けど、その彼らの振る舞いや所作が、本当に素晴らしかったので書きたいのです。

まず、その日のイベントは7バンドの長丁場だったんだが、WE INSIST!は対バンをまさか全部見ていた。常にフロアで踊り、叫び、拍手をしていた。そのスタンスには酒田hopeが誇る「ローカリズムを先鋭化しすぎた故の偏屈さが時にきらめくハードコア少年」若松も「めちゃめちゃ良い人じゃないすか!」と驚き、受け入れのドアを心のなかで開け始めていた。で、WE INSIST!がライブ終了後、すべてのバンドの物販を回り、ゆっくりとした英語で音楽について各バンドに絡んどるのを見た頃には、みんな完全に心許しちゃってた。

テロもあった中、遠い遠い日本の、これまた遠い酒田に来て、地元バンドのライブ見て、意見して握手して、、。当然のように打ち上げは爆盛り上がりし。酒田みんなでパリからのご一行を歓迎した。でもこれは全部、彼らがそうさせたこと。

終わったあと、訳あって俺がいまやってるゲストハウスに訳あってWE INSIST!はご宿泊。朝から日本語ゼロでガンガン話しかけてきて、ゴミ出し手伝ってくれて、玄関前で写真撮って、お見送りして、そっから前日のライブで知り合った雑貨屋と楽器屋に行ってたのTwitterで見たとき、その「繋がりにストイック」な感じに、改めて、バンドとか、ライブとかの奥底を見たような気がしました。出会いの形は様々、それをすれ違いで終わらすことも、人見知りで片すことも俺らは出来る。許されてる。でもそれを「最大化」して、出会ってたった数時間でお別れしなきゃならないことが決まっている関係、バンドとバンド、バンドと客、ステージの上と下の距離を、ここまで縮めることも出来るんだってことを思い知りました。次WE INSIST!がまさかパリから再来日した暁には、酒田のライブは必ず最高のものになるでしょう。ならんかったらするわ、あの夜にいたやつ全員が。という感じです。




ドゥワチャライク12日前の夜、今日はここまで!って布団に入って、色んなことを考える。時折不安もありまして、マイナスなこと考えたらキリ無いですが、人と人があったときに出来ることは、そん時なるだけ全部やろうと思いました。酒田hope、ロッケンロールオリンピックにてビラ撒き。なかなか普段来る客層と違ってどうなんだろなんて不安はあったけど、「もう予約してます!」なんてこと聞いて卒倒しそうになる。あざす。まじすか。。あざす。

ドゥワチャライクHP
http://dxwxyxl.wix.com/0002

俺からは誰にも線を引かないようにしたい。たとえ一瞬のすれ違いでも、心の底まで語り合える奴はその中に隠れている。そして会った者同士わいわい言いながら、楽しいことを仕込み続ける。腹減りました。給食で出たみそ仕立ての芋煮。「うまい」


2015年11月17日火曜日

想像力 それは愛だ (ザ・ハイロウズ)


ゆるキャラは人間の想像力への挑戦である。
嘘を嘘と分かっていながら、面白やエンタテイメントのために、「嘘だ!!」とあえて言わない能力が人を幸せにする。これは人間の特権だ。 犬はマスクマンのマスクをすかさず剥ぎ取りにかかる。スーパーマンなんていない。サンタクロースもいない。でも敢えて言わない。言って誰かが不幸になると想像できることは言わない。それは思いやりであり、愛であり、更に言えば段取りだ。


相も変わらずかりんとうを売っております。
2012年に発売してから3年半が立ちました。この間、数十万を超えるかりんとうが世に放たれました。バンドマンでもない、作家でもない俺は、今まで「作品」というものを持っておらず、「作品」もつ可能性に心底驚かされました。はじめましてと名刺を切れば、「かりんとうの人ですよね」と先手を打たれて腰を抜かす。俺が作ったものが俺の知らない所で俺を広告してくれてる。催事に出れば、「いつも買ってます!あなたが作ってたんですね」なんて、やっと会えたみたいなことを言ってもらえる。まるでバンドマンみたいだな。作家みたいだな。農家でもバンドマンになれるのかもな。とても嬉しいものです。

農家が米だけを作っていた頃には、こんなことは有り得なかったことで、農協に出荷して終わる「1年」が、こうして、延々と終わらずに、繋がり広がる感覚が、とても好きです。

ものを作ることはそういうことだと思う。
フジロッ久の藤原さんがコラム( http://dayz.today/column/555 )で、「DIY」=「消費されないものを作ること」って言ってたけど、あのかりんとうを俺が作っていると知っている人は、単純な消費から、違う消費としてかりんとうを買って、食べたりあげたりしてくれるだろうし、そうやって、身の周りの誰が作ったのかもわからないものを、ひとつひとつルーツや作り手がわかるものに置き換えていく作業も、立派なDIYだと思うのです。物を作る側は、そういった消費の感覚に敏感になれることも分かりました。

久々のブログなもんで、色々と書きたいことはたくさんあるんですが、まずはこれ、ドゥワチャライク、7月の開催に続いて12月5日に開催します。














































やりたいことはさっきの消費の話に似ています。漠然と人がいなくなる(ような気がして)、漠然と廃れていってる(ような気がする)地元山形県庄内地方を、ルーツと作り手に出会うことを持ってして、感動したり安心したりできる場に変化させたいのです。

お祭りのヤグラの上で太鼓や笛が鳴らされ、それを取り囲むように盆踊りを踊り、さらにその周りに出店が並ぶように、音楽の周りで踊る人たちがたまに出店でものを買って、それをお土産に家(日常)に帰り、家(日常)でそれを食べたり飾ったりしてお祭り(非日常)を思い出す。そんなイメージです。

出演・出店してもらえる方々については、今度ガッツリ書きたいんですが、今回も、日常や暮らしに率直に生きて歌う音楽家の皆さんと、紛れも無い地元山形で色んな物を作り上げる作家の皆さんが集まりました。12月5日の夜、家に帰って、ドゥワチャのパンフレットやお店のショップカードを眺めて、12月6日にあのCD買おうだったり、あのお店行こうって思ってもらえたら最高だなぁぁ。施策、とか、対策、とかそんな仰々しいものではなくて、「このバンド最高だよ!」の果てに楽しい暮らしがあるような、そんなことを夢見てます。

ドゥワチャライク、よろしくお願いします。

明日は故障してずっと代車だった車が帰ってくる!乗り越えろ、車検!
また書きます。

2015年2月26日木曜日

ロンサムボーイ、一兵卒へ



相変わらず夜型になったり朝型になったり、出鱈目な生活を繰り返し、もちろん煙草も止めないし、痩せないし、茫洋とした感じで色々なものに追われ、同様に様々を追い、仕込んでいたり、たまに爆発させたり、しています。

昨年の11月22日には念願叶って、酒田港座でテレクラキャノンボールの上映会を、それはそれは多くの支援に支えられる形で、実現できました。

東京では、「企画」という言葉を凄く自分の拠り所にしていたのですが、こちらに帰ってきて、なかなか日々のタスクめいた世間との折衷や労働に追われるあまり、全くそれを忘れて生きていました。

が、「テレクラキャノンボール」という現象に心を奪われて、会社の出張で東京に行き、9時まで人とあったりして、10時からレイトショーに行き、を繰り返す中で、映画一本見るのに「25,000円」程度の交通費をかけていることに気付き、更に、その「25,000円」を庄内で見たい作品や人に託せば、庄内のみんなと、庄内で映画を見れるかもしれない、ということに気付きました。

結果、カンパニー松尾監督に、「山形に住む僕が東京でテレキャノ見るのにかかる費用」を渡したら、庄内に来てくれました。

なんか、企画ってこういうことだったなあと、改めて気付いたのです。


自分が見たいメディアが無ければ、自分がメディアを作るしか無いし、自分が楽しい物がなければ、自分がそれを作るしか無い。かもしれない。という、頭でわかったつもりになっていたことを、身体を持って知らされた気持ちでした。

庄内空港から東京便しかないのが不便なら、日本中から飛行機がやってくる「価値がある」庄内にするしかないんです。頭では分かっていたんですが、具体的な一歩が、最近、色んな角度の出会いがあって、踏み出せました。


昨年のユアターンサミットで、恥ずかしげもなく自分のことを話して以来、2014年は素晴らしい出会いに満ち溢れた1年になりました。これに関しては、会場で熱烈不肖の話を笑って聞いてくださった方々と、特段、まいもさんへの感謝しか無いです。

例えば人前で何かを語ろうとするとき、思わず、自分の肩書がある「仕事」や「実績」について語るのが当たり前になっていたのに、何かを間違えて、肩書も実績もない「僕という人間が思うこと」を話してしまった結果、何故かそれがとても受け入れられて、農業者以外の出会いを生みまくる、という奇跡を見ました。

東京で、ワークを持たず必死にパーソナルで勝負せねばと怯えていた僕は、こっちに帰ってきて、ワークを持った安心感からか、パーソナルの発信を怠っていました。仕事してればいいんじゃないのそれなりに充実しているし。

それが、山形で、ワークではなくパーソナルで承認を頂く、というのは、なんだか気恥ずかしいような気持ちもありつつ、かつての自分に教えられているような気持ちもありつつ、つい最近まで戸惑っていました。

大学も行かず、流浪の民として延命していた自分の隠れたキャパに本当に救われています。恥ずかしながら。

仕事を仕事だと思ったことも、実はあんまりありませんし、プライベートとソーシャルの垣根も、二十歳くらいから崩壊しっぱなしのような気がします。「仕事休みですか?」や「何時まで働いてるんですか?」という質問に、上手く答えることが出来ません。これは、上出来だろうと感じています。

これからもずっと、働きながら遊び、遊びながら働きたいです。仕事の反語が遊びではなく、仕事の同義語が遊びになるまで、スタンスを調整したいです。

熱く熱く書いた部屋シェア計画や、本を作る計画も、形を変えて、いまも進行しています。

ヤりまくり人生は、幸いまだまだ続きそうです。